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2013年2月

2013年2月 8日 (金)

「96時間」はすっきりしたが後味が悪い

悪いやつを殺しまくって、悪いやつもいろいろなタイプがあって、乱暴者からインテリ風、ブサイクからイケメンまでよりどりみどりで、そいつらをこれでもかってほど殺しまくってて、悪いやつらも実際悪いから殺されて当然なんだが、そいつらが殺されてスッキリした後「本当にこれでよかったのか?」という疑問が湧く。悪いやつらは本当にあそこまで悪を徹底するのかね、と。あいつらだって人間だからそこまでひどいことはやらないんじゃないの? だからあそこまで殺しまくるのはどうなのかね?と。 なんかこう、最近のアメリカの、テロリストは人間じゃないから問答無用で殺していい、みたいな風潮がこの映画にも出ているような気がする。昔なら、悪いやつでももう少し人間味があって、べらべら喋ったりして駆け引きみたいのがあったと思うのだが、この映画は、最後の殺しもそうだが、確かに相手は腹の立つ相手ではあるが、ほぼ問答無用で即、殺している。多分現実はこの映画に近いんだろうけど、つまり、喋ってないでさっさと殺したりするのが正しいんだろうけど、非人間的なやり方に思えて、後味は悪かった。

それと、他の被害者がどうなったかを一切見せてくれないのも心配になる。娘だけ救い出して後は知らん、じゃねーだろーな。

マシンガン撃ってる敵の弾は全然あたらなくて、ピストル撃ってる主人公はバンバン相手を殺すところは、桃太郎侍みたいなもんだな。

次回作もあるようだが、せっかくここまでして助けた娘がまたなんかのトラブル--たぶんよりひどいやつ--に巻き込まれるのかと思うと見る気になれない。悪いやつを殺しまくってスッキリしたのは確かなのだが、見ている自分がすさんだ気持ちになって、「殺せ殺せ」と思ってしまうのも、それにふと気づくとあまり気持ちのいいものではなかった。ダイハードなんかとはちょっと違う。ダイハードは悪いやつがみんなやっつけられて「よかったよかった」という気分になれたのだが。

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2013年2月 1日 (金)

「イエロー・ハンカチーフ」は劣化コピーそのもの

高倉健主演の「幸せの黄色いハンカチ」のリメイクだが、 アメリカでこんなイジイジした映画が受けるのか疑問が湧く。アメリカ人があのウェットな役をやるとパロディーにしかならない。

主人公の嫁が流産して、以前も流産したことがあると分って主人公がショックを受けて、荒れて人を殺してしまうというのは同じなのだが、アメリカの酸いも甘いもかみ分けたような中年女性にはそれなりの性体験があるのは分りきったことだろうに、そこで主人公がショックを受けるというのがリアリティーがない。貞操観念を重要視する日本だからこそあそこで高倉健が荒れるんじゃないのか?

武田鉄矢の役は空気の読めない放浪する少年になっていて、桃井かおりの役は親にかまってもらえない15歳の美少女。人生があまりうまくいってないという点ではオリジナルと一緒だが、なんかリアリティを感じられないのはアメリカだからってだけなんだろうか。オリジナルでは二人が恋仲になるのがふさわしいと思えたが、こっちではどうも二人はバランスが取れてないような気がした。15歳の少女が放浪する少年とどう付き合っていけばいいのかが見えない。

ストーリーがめんどくさかったからか知れないが、都合よく空家があってそこに泊まる場面が2回も出てきて「なんだそりゃ」と思うし、カニを食べ過ぎて腹を壊すところはなぜか少年が運転しながら一人でザリガニを次々食べてるシーンになってたりしてて不自然だった。

最後のハンカチを見つけるシーンも2回ほど空振りをさせてがっかりさせた後で見つけると言う姑息なやりかたをつかってるし、ハンカチも、伏線となる妊娠を知らせるときには黄色いヨットの帆をあげるというものだったので、じゃあクライマックスではもっと派手に港中のヨットの帆を黄色くするのか?と思いきや、オリジナルと同じで小さなハンカチをたくさん並べるというやりかたで、それじゃ伏線のときより地味じゃないか、と思ってしまった。

若者が他人の車を傷つけてしまって絡まれて、主人公が助太刀して逃げ出すときに主人公が運転して警察に捕まって無免許がばれる、というシーンまでコピーしていた。さらに、連れて行かれた警察署に知り合いの警官が居て、その警官が出前を取るとこまで一緒。ここまで一緒なのに、あくまで原作はピート・ハミルで山田洋次ではない。山田洋次は"Thanks to" のみ。 ピート・ハミルの小説にはこんな場面でてこないのに、である。こういう原作の認定の仕方にも違和感を感じた。そのくせカメオで桃井かおりは出すし。わけわからない。

「幸せの黄色いハンカチ」はやっぱり日本の風土じゃないと成立しない映画のような気がする。アメリカ人に日本のメンタリティーの人物を演じられるとこそばゆい。あんたらそんな性格じゃないだろ? もっとワイルドだろ?と思ってしまう。

あと、山田洋次は舐めてたが、こういう劣化コピーを見せられるとオリジナルはやはり素晴らしく、山田洋次はたいしたものなのだと再認識した。

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「南極料理人」良かった

男たちの描写がとてもリアル。身近に居そうだが魅力的な人々の生活を見せてもらった感じだった。生瀬勝久、きたろう、こういう人たちが会社とかに居たら楽しいだろうな、と思う。

ラーメン作るだけのことがあんなにクライマックスになるとは。

若い彼が日本に残した彼女とする電話もものすごいリアル。あんな感じだよな。男は彼女をつなぎ止めておきたいが、女のほうはちょっと及び腰のようなところが良く出ていた。

朝の食事時の連絡のときの力の抜けたような口調もリアルだし、ワガママなやつが居たり、挨拶にこだわる人が居たり、長く居てみんなの気持ちがすさんでいくところなんて非常にありがちでそれらしい。キムタクの南極大陸のような熱さなんて普通ないからな。

彼女に振られた若者がKDDIのインマルサットのオペレーターの声にほれるなんてのも女日照りの南極らしくて笑えた。

帰国の時の出迎えのシーンも良かった。西村の娘がジャンプしながら手を振ってる姿が、生意気なくせにお父さんが帰ってきてうれしいというツンデレでよかったし、なんと言ってもKDDIの清水さんが結構かわいかったのもよかった。 あの若い彼は高良健吾だったんだな。本来ならイケメンだがこの映画ではちゃんと女に振られそうな情けない男に見えた。

ドームふじ滞在中に西村の娘がどこかの科学館のイベントで西村に気づかれないまま交信する場面も良かった。娘はイタズラのつもりでいるが、実際には父親を気にかけてるという感じがよかった。

なんというか、普通だがちょっと魅力的な人々の生活を覗き見れた感じがした。日本のよさここにあり、という感じだった。日本のよさは、こういう穏やかでなるべく人々のあいだで争わないでいようとするところじゃないだろうか? アメリカじゃこんな映画は作れないと思う。なんか激しいことを起こさないと映画にはならんだろう。「ほのぼの」を映画にしたらこうなる、というような映画だった。

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