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2013年1月

2013年1月31日 (木)

「感染列島」は見てて恥ずかくて居ても立ってもいられない

こんなにひどい、見てて恥ずかしくなる映画をこれまで見たことがない。

それらしくかっこよく作ってるつもりなのだろうが、医療の素人である俺から見ても、「?」となる点が多いし、人を死なせて悲しくしてるつもりなのだろうがその安易さ、ご都合主義さが目立ち、こんな映画を感動大作としてもし自分が出したらと思うとこっぱずかしくて居ても立っても居られなくなった。

おそらく、監督以外のほかのスタッフたちや、出演したほとんどの役者たちも、試写かなんか見て「これはダメだ、ひどい」と感じたんじゃないか? 自分で脚本を書いた監督も、マズッたと思ったんじゃないのか? 

まず最初、佐藤浩市が死ぬところまでは普通だった。鳥インフルエンザが疑われて養鶏場を消毒する映像なんかはリアルで、期待感が高まった。

しかし壇れいが出てきてから「おや?」と思い始めて後は坂道を転げるように「?」の連続とこっぱずかしさの嵐で、この映画は伝説の「幻の湖」や「シベリア超特急」に匹敵するのではと思わされた。

壇れいは確かに美人だが、美人が科学者のリーダーの役をやるとどうしても説得力に欠ける。「こいつは顔でひいきされてリーダーになれたのであって、実力ではないんじゃないの?」と思ってしまう。フィリピンでの活躍シーンで心配する母親に向かって英語で「Don't worry」と言った後、もう一度「Don't worry.」と言うとこで「へ? もう一度言うだけか?」と思い、やっぱりこの人は実力ないな、という感じになった。

病院のスタッフ全員集めて白板に「それは何か、何をするのか、どこから来たのか、どうやって殺すか」と綺麗な字で書いたときもその内容にまったく具体性がなく、小学校の先生みたいに見えて優秀なリーダーは見えない。で、妻夫木とかが、区切り区切りで「その項目がクリアされた」ということでその白板の文字に線を引いていくんだが、いつまでその文字を消さずに残してるんだ、という突っ込みと、ほんとにそれでクリアされたことになったのか?という疑問が浮かぶ。

池脇千鶴の行動もひどい。最初、夫を死なせた妻夫木を責めるのはいいが、こういう大事になったのに傷ついたような顔をして黙ったり逃げたり。こいつの父親の、南国での医療活動がなにか美談のように描かれていたが、この親父の行動が日本で1千万人死んだ元凶になった。それを思うと池脇の行動はとんでもないと感じる。

妻夫木が見ず知らずの竹山を信じてウイルスの試料を渡すのもとんでもない話だし、その竹山がたった一人で顕微鏡のぞいてウイルスを発見してしまうのも「よくそういう設定に出来たな」と思って恥ずかしくなる。

隔離病棟に居るはずの妻夫木が当たり前のように外国に出て調査するおかしさ。何でただの救命医がウイルスの調査に行くんだ? 行かせてもらえるんだ? それも藤竜也を勝手に連れ出して。患者が多数出てて猫の手も借りたいと言う状況だろうに。WHOの指示無視で勝手に動いて、あんなことやってたらウイルスを拡散させる危険性が高いんじゃないか? 服はラフな格好でマスクとメガネを申し訳程度につけて危険地帯をずんずん行く。こんな行動するやつは閉じ込めておくしかないんじゃないか? 結局、外国で見つけたメモなんて何の役にも立たなかった。

爆笑問題の田中はあのまじめくさった演技が笑えてそこは良かったんだが、その嫁役の国仲涼子簡単に死なせすぎだろ。田中はお涙頂戴の役回りなんだろうが、それにしてもべた過ぎる。そのベタをやるために、他の人たちは結構粘ってなかなか死なないのに国仲だけあっさり死なせていて、このご都合主義も恥ずかしい。こんなんで泣くと思ってるのか?

で、光石研の娘が感染したときに、その彼氏は病院に入れてもらえてるでやんの。それどころか防護服着させてもらって、すぐそばで見守ってるという。だったら田中も入れてやれよ。でも何千万も患者がいるのに一人の患者を何人も医者や看護婦が取り囲んで、看病人に防護服まで着させて手厚く看護できるなんておかしい。

壇れいも感染したくせに長野に行くなよ。感染したら外に行ったらダメだろ。自分が感染止めるリーダーの癖にあの行動はない。

血清で直るみたいな結末だったけど、壇れいの実験の結果が出る前に光石研の娘にも適用して、血吐いて心臓止まるぐらい重症だったのに輸血したら娘直っちゃいやんの。血清の反応ってそんなに即効性あるのか疑問。

ああいう、患者が心肺停止するほど大変なときに、テレビ電話つなげるだけでもどうかと思ったんだが、他の患者ほっぽり出して長野にいる壇れいのとこに駆けつける妻夫木。ありえない。壇れいは最後死なせて回想シーン入れれば悲しくなると思ったのかもしれないが、血清が利いたかどうかは結局分らずじまいで壇れいが活躍したのかどうかも分らない。

テロップで「何千万人感染して何千万人死んだ」と書かれて、空撮で煙がちょっと上がってるぐらいの映像流されても「はあそうですか」とは全然思えない。解決もテロップで「ワクチンが開発されて収束に向かった」というだけで、映像でいろいろ見せられたが結局竹山がヒーローだったのかという話になる。

主人公である妻夫木と壇れいの行動はおかしいし、ほかの連中も感染を止めるために有効な行動をしたのは結局竹山だけで後の登場人物は光石研にしろ娘にしろ池脇千鶴にしろその父親にしろみんな感情に任せて無意味な行動をしているだけで、テロップでまとめて終わったことにしたという、映画の体をなしていない映画だった。良くある感動の場面をぶつ切りにして並べて「感動でござい」、と思ってるようなところが恥ずかしい。たとえば、壇れいが志願者を募って多くの医療スタッフが手を上げるところ。伏線がないので盛り上がりがない。また、機械を融通するために助からない人々を死なせる判断をした壇れいが雨の中で泣くところ。頼りないリーダーにしか見えない。TBSが金かけて豪華スターを起用して、これが出来てきたときの関係者の気持ちを察すると恐ろしいものがある。公開したくなかっただろうな。金かかってるから公開するしかないが。俺が監督だったら自殺してたかもしれない。もしかして監督の名前の「瀬々敬久」はアラン・スミシーみたいなもんか? と思ったら実在の人物だった。wikipedia を見ると、実験映画とかやってる人みたいでこんな大作映画にはまったく向かない人物のようだ。なんでこんな人を監督にしたのかね。

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2013年1月20日 (日)

橋下の入試中止に対する胸のすく書き込み

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1358655597/

【体罰問題】 橋下市長「新しい教育方針が固まっていない段階で生徒を迎える方が無責任だ」 下村文科相の懸念に反論

1 : ◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★:2013/01/20(日) 13:19:57.12 ID:???0

 橋下徹大阪市長(43)は19日、体罰問題が起きた市立桜宮高体育系学科で今年の入試を中止する

市長の方針に対し下村博文文部科学相が懸念を示したことを受け、「新しい教育方針が固まっていない

段階で生徒を迎える方が無責任だ」と重ねて持論を強調した。都内で記者団の質問に答えた。

市教育委員会は21日午後に会議を開き、入試を実施するかどうかを正式決定する予定。市長は19日、 市教委の対応次第では方針撤回もあり得るかとの質問に「分からない。21日の結果次第だ」と説明するにとどめた。

▽日刊スポーツ

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp3-20130120-1074333.html

▽関連スレッド

【体罰/自殺】 橋下市長の入試中止要請に下村文科大臣「中学生に重大な影響も」「市民に安心してもらえる対応を」★2

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1358606109/

209 :名無しさん@13周年:2013/01/20(日) 16:39:37.11 ID:sJWr16/u0

これで「グレートリセット」も大体どんな中身かわかったろ。

改善していくのではなくひっくり返して一から作る。目の前の嫌なものはそれで一旦なくなるだろう。しかしいいものができる保証はないよ。

バカバカしいのは一部の問題の対処のために全体に影響してしまうこと。霞が関をぶっ潰す?革命かよ。

根本的なところが間違っているからリセットは当然だ、と言うのだろう。本当にそうか? 複雑なことを考えたくないだけだろう。目の前の嫌なものだけなんとかできればいいと思ってるんだろう。

簡単に設計し直せるほど世の中シンプルじゃないだろ。それを「やってみなきゃわからない」でメチャクチャにされてたまるかよ。

将棋盤ひっくり返すのと変わらない。駒を並べ直したところで、都合が悪くなるとひっくり返すようなやつが果たして勝てるのか?

確かに橋下は複雑な問題を理解して丁寧に直すスキルがないと思う。めんどくさいから叩き潰せ、そしたらなんか新しいのが出てくるだろう、現状ではダメなんだから変えないといけない、ぐらいでどんどん進んでいる感じだ。

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2013年1月16日 (水)

「北の国から」の最初のシリーズを見るときつい

BSフジでやっている、北の国からの最初の連ドラの再放送を見ていると心が沈む。 純も蛍も、幼いながらも厳しい生活をけなげに送っているというのに、その後にああいう残念な未来が待っていると思うとがんばった甲斐がないと思う。 純は結局底辺のフリーターにしかなれなかった。自動車修理工場、ガソリンスタンド、そしてごみ収集。草太の農場を引き継いだときは浮上のチャンスだったが結局失敗。都会の小学4年生で勉強が出来た純は、順調に行けばスーツを着て通勤するような職に就けていたはずだ。北海道に来た後でも、中学3年の頃「ペンチ」と呼ばれていた機械好きの少年だったことを考えると、高卒でどこかのメーカーで技術者として働くという可能性もあったと思う。純の転落の最大のきっかけは、中学を出た後東京に出てきてしまったことで、あそこで富良野に残って普通の高校生活を送っていたら、普通に就職できて安定した生活が送れていたのではないか。あの時も、レイちゃんが夜逃げしたことで、東京に行く必要がなくなったのに、蛍に、「お父さんのがんばりを無駄にするな」ときつく言われて、東京に行く羽目になった。五郎は子供のためを思って行動しているとは言うものの、子供に気を使わせて結果的に子供の行動を縛ることになってしまっている。

蛍も、緒方直人演じる勇次と付き合ってたころまではいい感じで育っていたのに、その後の不倫以降は転落の繰り返し。正吉と結婚したのに農場がつぶれて一家離散とか。大きくなるときに五郎と一緒にいて、いつも五郎の気持ちを気にしながら育ったりしてると、そんなに素直には育たず、どこか影のある大人になるんだろうなという気はする。

雪子おばさんも幸せな結婚生活は送れなかったし、草太も亡くなったし、つららさんは風俗だし、中畑の奥さんは亡くなるし、五郎はいつまでたっても貧乏のままだし、そりゃ清貧はいいけどあんだけ頑張ったてきたんだからもっとうまくいったって良かったんじゃないかと思う。

もちろんドラマなんだから、平凡なサラリーマンになりました、普通の結婚をして普通に暮らしました、じゃダメなんだろうけど、昔の、幼い頃の純とか蛍のかわいさを見てると、どんだけ頑張って生きていてもこれから底辺の暮らしをする厳しい未来が待っているんだと思ってさびしい気持ちになる。今日の、「さようなら1980年」の回で、五郎の「この一年の君たちの頑張りを父さんは忘れないだろう」というセリフを聞いてなおさらそう思う。「その頑張りはそれほど大きな実は結ばないんだよ」と。

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2013年1月13日 (日)

「アバター」最高

映像はすごいがストーリーは糞だ、なんて意見をよく見るけどとんでもないと思う。映像、設定、ストーリー、すべてが最高だ。ストーリーは確かに単純だがその分わかりやすく、素直に入り込める。だからナビの女の子がかわいく見えてくるし、自分が人間であるにもかかわらず、ナビに肩入れして「人間やっつけろ」と思ってしまう。映像はもちろん言うことなし。空に浮かぶ岩山、黒い巨大なライオンや、象のような巨大獣の造形や動き。空に浮かぶ岩山に登る場面や、訓練で高いところから飛び降りる場面なんかはテレビで見ても自分がやってる気分になる。アバターの体に乗り移る設定もいいし、資源がほしい人間が、評判を気にして原住民をなるべく殺さないようにしたり、でも最終的には欲に駆られて殺しまくる、というのも本当にありそうだ。あの大佐が爆撃のときに気楽なふりしてコーヒー飲みながらやってるってのも、いかにもアメリカ人の余裕綽々を気取った態度って感じでそれらしい。地獄の黙示録のワルキューレの騎行を流す隊長を思い起こさせる。最後の、ナビの神秘の力で人間の乗り移りの技術を代用できてしまうなんてのもいい。そうそう、何も知らない主人公が最初にナビの人々に接触したときの異文化交流なんかも本当にそれらしくていい。最後の、大佐が接続カプセルを襲うシーンも確かにそれが正しいやり方で納得させられる。

わかりやすいし、きれいだし、気持ち悪くないし、はらはらするし、映画として完璧な作品だと思う。トータルで言えば、興行成績にふさわしい、史上最高の映画だ。

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2013年1月12日 (土)

「コクリコ坂から」はひどかった

ゲド戦記のときとは違って親父も協力していて、試写を見た後「映画になってた」と認めたそうだからそこそこいけるのかと思っていたら全然ダメだった。見ていて恥ずかしくなった。昭和38年には生まれておらず、その時代に何の思い入れもないであろう宮崎吾朗が、親父のノスタルジーを満たす映画作りを命じられて、当然親が宮崎駿だからってことで監督を任されて、親父の絵に似せた絵を描いて、でも見ている側はどうしても親父と比べてしまって、やっぱり親父と比べると下手で、なんだか親の鎖に雁字搦めにされているようで、見てて悲しくなった。偉大な親を持った子供はつらい。

映画が公開されたときにドキュメンタリーをやっていて、親父ともめながらも自分の意志を貫いて映画を作った、とか、親父の一枚の絵でヒントを得て主人公の女の子のキャラクターが固まったとか、なんかこう、いわくありげに報じられていたけど、映画を実際見ると全然そんなレベルじゃなかった。 親父である宮崎駿が描いて主人公のキャラが定まったと言う、線路の上の橋をすたすた歩く絵は全然重要じゃなかった。 はっきり言って、長澤まさみのけだるそうなしゃべりで、主人公の海ちゃんの「元気さ、けなげさ」みたいなものは全部消えていた。

ストーリーもわかりにくい部分が多い。なぜ食卓に母親がいなかったのか、それなのに母親の分の皿を並べるのはなぜなのか、家に何人もいる家族でもなさそうな女性たちは何者なのか。お手伝いさんがオート三輪に乗ってきたときにあれが母親なのかと勘違いした。主人公がこの家の主人の家族なのかさえわからなかった。使用人にも見えるし。宮崎吾朗は、自分が知ってることと、観客が知ってることの区別がついていないんじゃないか? 海ちゃんと風間の年齢の違いもよくわからなかった。風間がひとつ上だったんだな。

あとはこっぱずかしさの嵐だった。古めかしい若者の議論の口調はいかにも「それらしく似せてみました」というのが露骨にわかるし、カルチェラタンの建物は千と千尋の油屋のパクリだし、新聞に自分宛の詩を載せられるのは恥ずかしさの極みだし、あの地味な顔で「メル」と呼ばれるのは変だし、実は兄妹じゃないの?ってのは原作にもあるんだろうけど陳腐に過ぎるし、二人乗りの自転車は「耳を澄ませば」のパクリだし、とってつけたようなナイスタイミングで親父の友達の小野寺は来るし、何でもかんでも「海ちゃんのおかげ」だし、(主人公以外の)男はダメだが女たちがしっかりしているおかげで物事がうまくいくというのも親父のいつものやつだし、理事長が長澤まさみのけだるそうな声を聞いて心を動かされるのはちょっと変だし、作ってる最中に「これはダメだ、ニセモノだ」と思わなかったんだろうか?

ついでに書くと、海と風間が二人で歩いてるシーンは動きがぎこちないし、討論の最中に先生が来たときに急に合唱しだす場面は意味わからんし、あと、出版社で社長に会うために待ってるときの3人の無表情ぶりは何なんだと思った。

そもそも、親父が作りたい映画を、申しつけられて思い入れもない息子が監督やらされるってのが間違っていると思う。 監督は、自分が作りたい映画を作らなきゃ、、、と思ったが、同じように思い入れのないひとが監督させられたアリエッティはちゃんとしてたもんな。やっぱり宮崎吾朗の実力の問題といわざるを得ないか。挿入歌なんかは楽しくていいんだが、そこでいくらおしゃれっぽくしても却って中身のダメさが目立った。

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